ある秋の日に思う。


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秋が深まり、札幌の青空も限りなく高くなってきました。どこまでも楡の木が伸びているせいかもしれません。

最近はいろいろと旅に出る機会がありますが、用事があって移動しているのであって純粋な楽しみとしての旅は気づけばしばらくしていませんでした。

それが先日、連休の日曜日、天気予報も絶好の行楽日和なんて連呼するようなベタな日に、これまたベタなドライブポイントであるニセコへ行ってきました。ニセコといえば湧き水・ソフトクリーム・温泉・産直野菜。もちろん全て網羅。ああこんな世間並みの幸せをこんなあたいなんかが享受してよいのだろうかと、楽しさの裏で油断すると秋の木枯らしに吹かれるような気持ちにもなりそうな自分を払いのけながら、かぼちゃまみれのニセコの町を堪能したのでした。

車を出してくれて私を一緒に連れて行ってくれた親切なTちゃんとNちゃんと道中しゃべくりまくり、札幌に戻ってからも深夜のファミレスでシメにしゃべくり・・・ 日常の仕事のことや家族のこといろいろいろんなこと。

そうして思いました。ああ私なんか世間の荒波の中でそれなりにもまれているつもりでいたけれど、・・・甘かった・・と。だからそんな私が世間並みの幸せを受ける資格が無いような気持ちになりそうになったんだきっと。今日ニセコに来ていた大勢のベタな観光客の皆さんもああみえてきっと普段は世間の荒波の中で理不尽な思いもしながら健気に日常を送っていて、こんなベタな日にしか休みがないから渋滞にまきこまれても仕方が無いさと諦め方も上手で、ガイドブックに必ず載っていそうな無難だけれどはずれないポイントを選んで貴重な休日を楽しんでいたのかもしれないと思うと何ともいえない気持ちになりました。ま、全て妄想による考えではありますが。

私も普段理不尽なことがないわけじゃないけれど、その生きづらさは今となっては自ら選んでそうしている自覚が少なからずあるので苦であって苦でないようなところがあり、結局気楽です。自分にとって不必要と思えるような理不尽さには近寄らない嗅覚だけは培ってきたようなところもあるし、結局自分の周りにいる人々はみんないい人ばかりで、こんな気楽でもみんなに助けられて幸せに暮らしているのだから、私の世間の荒波に対する適応力はかなり低めなんだなということがわかりました。ちょっと世間並みのことをしようとするとカラスさんから「ちょっとアンタ!それ大丈夫なの?!」とすぐ言われる意味もようやくわかった気がします。

そんなわけで、楽しみながらもいろいろなことを教えてもらった一日に、澄み切ったニセコの空と、荘厳な羊蹄山と、美しい緑と水に、そして満天の星空を心ゆくまで一緒に眺めた友人に、改めて大きな感謝をしつつ、今年の秋をこの後も満喫してゆきたいと思う今日この頃でございました。